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ひっそりと・・・ひとり記念日 

 3月31日。

明日からは4月。

月が変わるとき毎月、
『もう○月かぁ~早いなぁ~』

とか、そういう思いはあるのですが・・・。


記念日。

誰かに話すような記念日じゃないんです。

1年前の今日は、

私が 《生活の自由を取り戻した日》。


強迫性障害というものになって

家族の力をたくさん借りました。

生活するってことは、普段は何気にしていることでも

そのひとつひとつに意味が?あるんだということを知りました。

たとえば、強迫になって運転が恐くなり

なんで?なんで?なんでなんでなんで??!!

こんな気持ちから私は自分の心がだんだん落ちていきました。

そして、その落ちた心は

私の生活にいろんなことで影響が出てきました。

「運転出来ないから買い物行けない」

「料理するとき、強迫観念にとらわれるから料理出来ない」

このふたつのことだけにしても

いい歳をして買い物を母に頼み

料理も母に作ってもらい・・・・。

情けないと思う気持ちもありましたが

そのときは、そういう気持ちより

ただ、強迫性障害になったことが辛かったです。

そしてそういう日々は1年くらいは続きました。

そのときは、今はもうこれでいい。

と思うしかありませんでした。


それが・・・

去年の2月だったと思いますが、

ある人の厳しい言葉で、何とかしなきゃと思ったことがきっかけで

少しずつ少しずつ、前進していきました。

そのある人の言葉は、
何度も何度も過去記事にも書きましたが

『ろくに運転も出来ないで』

と言われたことです。

このときの気持ちは

『悔しい』 『ひどい』 『悲しい』

そしてこんないろんな気持ちの中でも私の心を動かしたのは

悔しい気持ちでした。

何だと?!
よし、わかった。
もうそんなこと言わせない。

そういう気持ちでした。

その翌日から私の行動は変わりました。

助けてもらっていた母にも息子にも

『これからは自分でやるようにしてみるから。』

という宣言をいきなりして

母や息子は、きっと嬉しかったでしょうが

ちょっと戸惑いの表情でもありました。

『どうした?無理しなくていいさ、でもそういう気持ちになったなら
頑張るのもいいかもね。
無理だと思ったらいつでも言ってね』

そう言ってもらいました。

なんという優しい言葉・・・・。

感謝という言葉では足りません。

私は決心したとおりに
行動を少しずつ変えて行きました。

人に助けてもらっていたことを
ひとつずつ自分でするように・・・・。

こう書いたら、私に運転もろくに・・・
という言葉を言った人は悪者になってしまいますが

その人のその言葉がなかったら
今のわたしはないかもしれません。

だからその人は私にとって悪者ではありません。

言葉では言い表せないほどの怒りでしたけど
言った本人もきっと後悔したと思います。

私とその人の間で
そのときの会話を思い出として語りあうことはありません。

そして私にとって大切な人だということに変わりはありません。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1年前の日記に私はこう書いています。


『今日は1年数ヶ月ぶりに店(会社)から家まで1人で帰った。
○○(いつも行くスーパーの名前)に寄って。』

と。

そうです、強迫になって私は運転はやめてはいなかったけど
人に同乗してもらって協力してもらっていたのです。

恥ずかしくて情けなくて、このことは過去記事に書いたかどうか憶えていません。

1人で運転するのが恐かった、でも運転は諦めたくなかった。
そのために人を巻き込んでいた・・・。

今書きながらもそのときの光景が頭に浮かび
泣けてきます。

たくさん助けてもらったこと、

そして何より人の気持ちを考える余裕などなく自分が辛かったこと。

だけど情けなくて人に言えなかったこと。

でも一歩を踏み出してからちょうど1年。


だからひっそりと・・・記念日です。


朝起きて、日常の生活をすること、出来ることは

強迫になる前までは気にもとめないことだったけど

それがどれだけ有り難いことかを知れたことは

強迫になった意味もあると思っています。


出来ればなりたくはなかったですけどね。^^;



今日もお読み頂きありがとうございました。


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